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| 八十年代以降、中国は外国文化の影響が急速に強まった。とはいえ、一般の海外旅行、それも団体旅行に限って解禁されたのは2000年のことで、それ以前は一部のエリートの留学か業務上の招聘、または親族訪問の目的以外に海外を訪れることは出来なく、一般にはメディアを通じての海外との接触だった。そのため、渡航の機会を得た一部の人達の思想、感覚は中国人の中でも特に際立ち、異質なものとなった。李六乙に関していうと、彼の伴侶李【女尼】は著名な映画監督を父に持ち、彼女自身も映画監督でありながら、北京李六乙戯劇工作室のプロデューサーを務める。彼女の姉は日本留学の経験を持ち、両親と共にアメリカに在住している。九十年後半、李六乙夫妻は出産の前後をアメリカの家族のもとで過ごしたという。こうした家庭環境が彼の作品作りに及ぼした影響は少なくないだろう。また、李六乙の父親は四川省の川劇の名優である。家庭教育は箸の置き方ひとつから始まり大変厳格で、幼少期の李六乙は哲学の世界に没頭することで精神の自由を得ていたとのことである。彼の作品に中国伝統思想が深く根差すと同時に、伝統劇の手法を取り入れるのに長けるのは、幼少期のこうした背景が根底にあるといえよう。その後、李六乙は中央戯劇学院で話劇を、卒業後に中国芸術研究院戯曲研究所で伝統劇の研究に従事し、両分野への造詣を深めていく。 |
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![]() ▲ 李六乙(リー・リュウイ Li Liuyi) Photo(C)Beijing Li Liuyi Drama Studio |
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| 『非常麻将』には明確な起承転結がない。欧米や日本では既に目新しくない形式だが、中国では大きな論議を巻き起こした。作者は一体何を言いたいのか? 優れた作品は起承転結が明確で結論がはっきりしていなくてはならない。そんな意見が当時多く聞かれた。評者の年齢が高くなる程この類の意見が多くなる。逆に二十代以下の若い世代は、率直に面白いと反応する。時代による教育の違いの結果だろう。若い世代は、作品を通じて自分自身の日常を見つめようとする。作中の「老二」は観客自身であり、さまざまな解釈が可能だ。北京人芸小劇場では毎日公演終了後に著名人を招いての座談会が開催された。そこで専門家達は『非常麻将』を、価値観の多元化時代の到来を反映した作品と評した。老二はいるのかいないのか、死んだのか生きているのか、教えて欲しいと言う観客が多い中、ある女子中学生はこう感想を述べた。「劇が始まってすぐに老二は実在しないと気づきました……」数回劇場に足を運んだと嬉しそうに話す彼女の姿が印象に残っている。李六乙本人も「この作品の意図するところを的確に言い当てたのは、言いにくいが中学生だった」と述べていた。演劇に対する固定観念のない若い世代だからこそ、この作風をすんなりと受け入れられたのである。また、「ゴドーを待ちながら」と比較されるのに対し、李六乙は「最も本質的な違いは、三人は老二が来ないと知りながら偽っている点だ」と述べ、「この作品を書いた根本的な動機は真実というものに対する疑念、賞賛、或いは批判であり、これは私にとって永遠のテーマです。」と話した。既成の表現方法、定説を越えた創作の試みを続け、多元的な解釈の出来る作品を生み出す李六乙だが、この作品に彼自自身の創作態度、テーマが明確に表現されている。 | |
| 二〇〇〇年前後の北京はホワイトカラーが台頭し、学歴重視の風潮が強まっていた。大卒の学歴では既に足りなく、大学院、可能なら博士号取得を願う。それを手にした者達、特にIT産業等の時代の潮流に乗った業種についた者は、二十代でも親を上回る給料を手にする事が出来るのだ。反面、学生時代を文革で台無しにされ、大卒の学歴を持たない者は職探しが難しく、特に中高年層は解雇の対象にされ、現在の発展に乗るどころか振り落とされ希望が持てない。『非常麻将』に登場する老二を含めた四人は、年齢、職業は特定されていないが、文革経験世代である。そして老二以外は大卒の学歴もさしたるキャリアもなく、どうあがいても出世の見込みがない。この文革世代の悲哀は、経験者でないと理解が難しいだろう。しかし、転身を考えながらも勇気が出ず、現状に甘んじてしまいがちな人間の姿は古今東西共通で、自分自身や周囲の人物に重ねやすい。それゆえ、文革を知らない中国の若い世代にも大きな共感を呼び、海外でも好評を博したのだ。主題をひとことで言えば、人間の存在意義に対する問いかけと不確定な将来に対する不安だろう。 | |
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この作品のもうひとつの大きな魅力は、中国の伝統文化、伝統思想を巧みに取り入れながら劇を展開し、台詞を意味深長なものにしている点だ。教育の格差が激しい中国では、知識人と一般大衆の間の意識の差が大きい。『非常麻将』はどちらかと言うと、知識人が楽しむ作品であるといえる。例えば、冒頭の漢詩をもじった台詞。そして、歴代の主要な中国伝統思想を四人の登場人物の性格に重ね合わせた点など、実に巧みである。だが一方では、麻雀という大衆化した娯楽の用語を隠語風に使い、通俗的な要素も加えている。知的でありながら俗っぽい、そして全体として洒脱で粋な作品は、観客を大いに魅了した。 北京人芸小劇場での公演は、脚本の冒頭にある通り、四面に客席を設ける形だった。キャストは北京人芸所属の何冰/ホー・ビン(老四/ラオスー)、馮遠征/フン・ユアンジャン(老三/ラオサン)、呉剛/ウー・ガン(老大/ラオター)の三人。客の入りに応じてギャラを支払うという方式に同意し、李六乙と共にこの公演の成功を目指したという。三人は近年、実力のある若手俳優として舞台、映画、テレビで活躍している。特に何冰はその後、二度目の「梅花賞」を受賞した。この作品は三人の俳優にとっても出世作になったと言える。これらの実力俳優を配して、難易度の高い四面舞台が実現した。下手をすれば、緊張感に欠け、台詞が多い分だけ退屈な空間になってしまっただろう。しかし、演出の李六乙は、三人の能力をうまくコントロールしながら、一時間半にわたって舞台空間を緊張感で満たし、観客を引き付けることに成功した。簡素なテーブルと椅子を主とした道具立ては伝統劇の手法を用いたものである。李六乙の意図する伝統劇の手法を現代劇に応用する試みは、ここで成熟を見せた。『非常麻将』は李六乙の代表作であるばかりか、中国現代演劇史に残るものだと思う。 |
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![]() Photo(C)Beijing Li Liuyi Drama Studio |
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この作品はこれまでに二回、来日公演が実現している。一回目は二〇〇一年八月。第八回BESETO演劇祭に招聘され、利賀山房と新国立小劇場の二箇所で各二ステージ上演された。
利賀山房では額縁式の舞台、新国立小劇場ではセンターステージの二面に観客を入れ、北京とは異なる空間構成での上演となった。キャストは、林熙越(老四)、韓青(老三)が中国青年芸術劇院から新たに参加し、オリジナルの呉剛(老大)と共に演じた。観客に演劇関係者が多かったせいか大変好評で、この作品は言葉を越えて理解されたようだった。 二回目の日本公演は、以前から招聘を考えていた私自身が青年団の協力を得て、日中国交回復三十周年を記念した文化庁の二国間交流事業の一環として行った。二〇〇三年三月二五日から四月五日までの計五ステージ。青山円形劇場で三ステージ、伊丹AI・HALLで二ステージである。単独公演として行ったので、観客層が広がり、より多くの方に見て頂けたと思う。ただ、会場での一般観衆の反応には問題があった。どうしても字幕頼りになってしまうのだ。日本人の観劇習慣にも関係するのだろうが、ストレートな台詞劇の見せ方は難しい。とはいえ、中には脚本をぜひ読みたいという観客もいて、日中の演劇交流を促進する役割は果たせたと思う。キャストは、呉剛に代わって中国国家話劇院の牛飄が加わり、また新たな組み合わせでの上演だった。林熙越によれば、外国人が理解しやすいよう、多少オーバーな表現をするよう心掛けたという。 二回の日本公演については、話劇人社の機関紙『幕』の五一号に飯塚容氏による評論がある。私も公演に関わった者として、同じく五一号、そして五五号に文章を寄せた。また、作者の李六乙については四九号に瀬戸宏氏、五三号に伊藤茂氏によるインタビュー記事が掲載されている。併せてご覧頂ければと思う。 翻訳の底本は『李六乙純粋戯劇 劇本集』(人民文学出版社 二〇〇一年八月)に収録されたものを用いた。私が草稿を作成し、飯塚容氏の全体にわたる加筆修正を経て完成した訳文である。最後に作者の李六乙氏の御協力に深く感謝すると同時に、今後の益々の活躍を期待したい。 |
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| −−− 「中国現代戯曲集第5集」掲載 『非常麻将』 解題 |
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| 菊池領子 |
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![]() 2003年東京公演キャスト 左から:韓青/ハン・チン(老三/ラオサン役) 林熙越/リン・シーユエ(老四/ラオスー役) 牛飄/ニウ・ピアオ(老大/ラオター役) Photo(C)Aoki Tsukasa |
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